１２．内覧
家を買うことを決めてから一ヶ月もたつと、毎週末に船橋まで出かけていって荷造り作業をすることが、ほとんど習慣のようになってしまいました。１１月末には、建物の引渡しもなんとか終わって、いよいよ「内覧日」を迎えることになりました。「内覧」というのは、購入した家に引っ越してくる前に、できあがった家の状態をよく点検し、おかしいところがあれば事前に直してもらうために行います。
いったいどんなふうに仕上がっていることでしょうか。のんたんのおとうさんとおかあさんは、この日を楽しみにしていた反面、心配でもありました。というのは、家がまだ完成していないというのに、「内覧日」が来てしまったからです。
これまで住んでいた仮住まいのマンションから購入した新居までは、歩いて２０分ほどの距離です。のんたん一家は、週末の荷造りのために船橋へでかけるとき、必ず、新居の前をとおって、家の出来具合をチェックするようにしていました。
ところが、建築中の家の周りにかけられているシートはなかなかはずされる気配がありません。内覧日の直前になって、やっとシートがはずされたものの、家の外装はまだできあがってはいませんでした。
「だいじょうぶかねえ？」
とおかあさん。
別に、急いで引越しする必要はなかったので、たとえ工期が長引いたにしても、ゆっくりていねいに作ってくれた方がいいに決まっています。ですから、もしも内覧日に間に合わなければ、内覧日を延期すればいいことだと、おかあさんは思っていました。
けれど、工事は遅れに遅れ、実は、既に、内覧日を一週間延期しているのです。もう、なんとしても、これ以上遅れるわけにはいかない、と売主さんは懸命に作業を進めているようでした。
「無理しなくてもいいのになあ…。」
とおとうさん。
急いだあげくに雑な工事にしてもらいたくない、というのが、おとうさん、おかあさんの希望です。不安をかかえながら見守っているうちに、とうとう「内覧日」当日になってしまいました。
販売会社と約束した時間、1１時きっかりに、のんたん一家を乗せた車が新居の前に到着しました。けれど、その家がまだ完成してないことは、おとうさんもおかあさんもわかっていました。
「あれ？」
車を降りたおかあさんは、びっくりしました。昨日の夕方に見に来たときは、玄関ドアのまわりの壁は、地肌がむきだしになっていたのです。ところが、今朝になってみると、しぶいレンガ風のタイルがすっかり埋め込まれているではありませんか。
「ここ、昨日見たときはまだできてなかったのに…。」
おかあさんが思わず口走ると、営業のＵさんが、
「はいっ。今朝早くから工事を開始して、ぎりぎり、いらっしゃる前に完成させました！」
と、胸をはって答えたので、おかあさんはふきだしてしまいました。
そんなに無理をして間に合わせることはなかったのですが、なにしろ、玄関は家の顔ですから、なんとしても完了させたかったのでしょう。
こうして、売買に関わった人たちが全員で見守る中、のんたん一家は家の中へと案内されました。
まず、あみちゃんが、持参した上履きにはきかえて、家の中を歩き始めました。つづいて、おかあさんとのんたんが家の中に。すると、のんたんがなんと、
「こんにちは〜。」
と言ったのです。
お出かけして誰かに会うとき、おかあさんは必ず、のんたんに「こんにちは〜」と言わせていました。その同じことばを、のんたんがそのときに発したのです。のんたんはきっと、「誰かのお家に遊びにきた」と思ったのでしょう。いつのまにかのんたんは、おかあさんに言われなくても「ごあいさつ」ができるようになっていたのでした。
「のんたん、そうそう。『こんにちは』だね。よく言えたね。」
おかあさんはのんたんをほめました。玄関をはいるとすぐ左手に、２階へと続く階段があります。最後にはいったおとうさんは、その階段をあがって２階へ直行しました。
広告で「バリアフリー仕様」と謳っていただけのことはあり、階段には、しっかりとした手すりがとりつけられています。おかあさんが抱っこしていたのんたんを廊下に下ろすと、のんたんは、その手すりにすぐ気がつきました。そして、手すりにつかまりながら、トッコン、トッコン、階段を上り始めました。その足どりはしっかりとしていて、のんたんにはなんのとまどいもないようでした。
そんなのんたんの様子を見つめながら、おかあさんの胸の中は、安堵感でいっぱいになりました。
だいじょうぶ。私たちはきっと、この家で新しい生活を始められる…。
「のんたんがどんどん上っていくよ！ ひとりで階段をあがって、リビングにはいっていくよ！」
おかあさんは、２階のおとうさんに向かって大声で言いました。
なんのためらいもなく、階段をどんどん上っていくのんたん。「こんにちは」と言いながら、家の中にはいったのんたん…。そんなのんたんの後ろをついて、おかあさんも階段をあがります。
すごいね、ごあいさつができるようになっていたんだね。でもね、もう「こんにちは」はいらないんだよ。だって、ここは「のんたんのおうち」なんだから…。
いよいよ、階段はおしまいです。目の前には、リビングへと続くドアがあります。そのドアにさわったのんたんは、「カチャリ」と音をたてて、ゆっくりとドアを開きました。そんなのんたんの後ろ姿を見守りながら、おかあさんは願っていました。
「このドアの向こうに、楽しいことがたくさん待っていますように。」
と。
（次回につづく）
