２９．牛乳？
夏休みが始まりました。
一学期を皆勤賞で終えたのんたんは、毎日元気に、盲学校のプール教室に通っています。
朝きちんと起きて午前中に体を動かす生活が、のんたんにはとても良いようです。おかげで、このところ夜昼逆転気味だった睡眠のリズムがすっかり正常に戻ってきました。朝まで寝られるようになって、おかあさんにもうれしい夏休みです。
このプール教室はとてもありがたかったのですが、夏休みのはじめの一週間だけしかありません。その後は、のんたんが体を動かして楽しめるようなイベントを、夏休みの間ずっと、おとうさんとおかあさんで考えていかなければならないのです。
というわけで、まずは、日々良野高原に行って来ました。日々良野高原は、のんたん一家の住む葛飾区から、厚木方向に車で数時間くらいのところです。ここにある「服部牧場」が今日の目的地です。いつも一家がお世話になっている、「神奈川盲ろう者友の会」の子ども会のお母さんたちが主催している「盲ろう児と遊ぶ会」で、「服部牧場とバーベキューのバスハイク」を行うというので、神奈川県民ではないにもかかわらず、あつかましくも参加させていただいたというわけです。
神奈川のみなさんはバスを借りて行くのですが、のんたん一家は、葛飾区の自宅から、車で直行することにしました。ところが、渋滞などもあり、現地に到着したのは、バスのみなさんよりもずいぶん遅い時間になってしまいました（すみません…）。
それでも、笑顔で迎えていただき、ほっとするおかあさん。ちょうど、バーベキューが始まったところでした。のんたん一家の到着を待ちかねたように、ボランティアのｓさんがやってきて、
「のんたん、あそぼう！」
と声をかけてくださいます。
この会のすばらしいところは、それぞれの盲ろう児に、担当するボランティアさんをわりあてててくださり、楽しく遊ばせてくださるところです。
「私、きょうはのんたん担当なの。」
と、Ｓさん。
ところが、のんたんのごきげんはというと、なんだかいまひとつです。どうやら、初めて来たバーベキュー会場の雰囲気がお気にめさなかったようで、しきりに会場を出ていこうとします。
「のんたん、いっしょに手をつないで歩こうよ！」
と差し出したｓさんの手すらも、のんたんは拒否してしまいました。
その「拒否」のしかたの、またおもしろいこと。なんとのんたんは、Ｓさんの手の甲を自分の鼻にあて、「フンッ」と一息吸ったと思ったら、その一瞬で、
「この手はかーたんではない。」（大爆笑）
と嗅ぎわけて、手をふりはらったのです。
ちなみに、のんたんがおかあさんの手のにおいを嗅ぐことは、ほとんどありません。大好きなおかあさんの手は、さわっただけでわかるので、わざわざにおいを嗅ぐまでのことはないようです。
いつもはボランティアさんと仲良く遊ぶのんたんですが、この日は、おかあさんがそばにいるせいか、おかあさんの手を離そうとしません。Ｓさんがいくら誘っても、のんたんはｓさんと手をつなごうとはしませんでした（ｓさん、すみませんでした…）。
それでも、ｓさんは気落ちすることもなく、その日牧場内に開店したばかりのアイスクリーム屋さんから試食のアイスをもらってきてくれたり、暑い中、すっかりお世話になってしまいました。
あみちゃんは、初めての乗馬に大喜びです。バーベキューのあとは、牧場内見学ツアーと牛の乳しぼり体験へ繰り出しました。
残ったおとうさんとおかあさんは、のんたんを連れて、アイスクリーム屋さんで休憩です。のんたんは、おとうさんに手を引かれて牧場内をたくさん歩き回ったので、のどがカラカラのはずです。そこで、店内で売っていた「しぼりたて牛乳」を買い、のんたんに飲ませることにしました。
「のんたん、牛乳、飲む？」
「ギュウニュウ、ノム。」
このごろは、こういうやりとりならできるようになり、少しずつ、のんたんの欲しいものがわかってあげられるようになってきました。
おとうさんが買ってきた牛乳のはいったコップを、おかあさんはのんたんに持たせました。とってものどがかわいていたのんたんは、それをぐいっ ぐいっ と飲み始めました。そして、「あれ？」と言いたげな、へんな顔をしています。コップに口をつけたままで、
「ぎゅうにゅう…」
とつぶやきました。そして、自分の右耳を、おかあさんの口に近づけました。これは、のんたんが「これなあに？」と尋ねるときのしぐさです。
ああ、そうか。
おかあさんはすぐに気がつきました。のんたんは、牛乳だと思って飲み始めたのに、「なんだか牛乳ではないみたいだぞ」と思ったのです。それで、「これ、ほんとに牛乳なの？」と、おかあさんに尋ねたかったのです。
「いつもの牛乳と違うよね？ のんたん、これはね、『おいしい牛乳』なの。いつものと、味が違うよね。のんたん、それがわかったのね？ でもね、これは牛乳なの。牛乳だよ。」
のんたんの耳元でそう言うと、のんたんはにっこりと笑い、安心したように、また飲み始めました。そして、そのまま一気に、全部飲んでしまいました。
「全部飲んじゃったんだね。おいしかった？」
とおかあさん。
「オイシカッタ！」
とのんたん。
「そう、よかったねえ！」
のんたんは、またにっこりと笑いました。
なんだかすっかり会話になっているような気がしてくるから、不思議です。
「しぼりたて牛乳」の味の違いがわかったのんたん。それを、おかあさんに伝えようとしたのんたん。ずいぶん成長したね、と、おかあさんはうれしくてたまりません。
そこへ、見学ツアーを終えたあみちゃんが戻ってきました。
「あみちゃん、乳しぼり、やった？ どうだった？」
初めての体験は、とってもおもしろかったようです。あみちゃんは、満足げな表情でこう答えました。
「あったかかった。」
そのことばに、おとうさんとおかあさんは思わずふきだしました。そうか、そうか…。牛のオッパイも、搾り出した牛乳も、あったかかったんだね…。
夏の牧場は、暑くて臭くて、ハエがいっぱいで疲れたけど、それでも、やっぱり来てよかったな、とおかあさんは思いました。短い時間でしたが、のんたんもあみちゃんも、それぞれに「牧場」を楽しめたようです。
また行こうね！
おとうさんも、往復６時間もの運転、ご苦労さまでした…。
（おわり）
