１９．さようなら、Ｕ先生 （2004年4月7日）
新学期です。のんたんとあみちゃんは、三年生になりました。
この春は、のんたん一家にとって、とても悲しいできごとがありました。
それは、二年間のんたんの担任になってくださったＵ先生とのお別れです。
Ｕ先生は、のんたんがＫ盲学校に入学したときから、担任になってくださいました。当時は、おとうさんもおかあさんも、
「のんたんがひとりでバスに乗って通学なんて、できるわけがない。」とすら思っていたころです。そんなのんたんと、毎日いっしょに
スクールバスに乗り、一ヶ月でのんたんがひとりで通学できるようにしてくれたのは、Ｕ先生でした。
お迎えのボランティアさんに時間を伝え間違え、のんたんにお迎えがこなかったときがありました。そのときも、Ｕ先生はのんたんを学童まで
連れて行ってくださったこともありました。
給食がない日だったのに、お弁当を持たせるのを忘れ、「コンビニでおにぎりを買ってもたせてやってください。」と
お願いしてしまったことすらあります。
本当に、あほとしか言えない親でしたが、そんなおとうさん、おかあさんにも、Ｕ先生はいつも、いやな顔ひとつせず、
つきあってくださいました。
のんたんが入学したばかりの頃に、
同じクラスのＣちゃんのおかあさんが、こんなことを話してくれたことがあります。
「あるときね、Ｕ先生がのんたんに歌を歌って聞かせていたの。のんたんはじっと耳をすませて聞いていたんだけど、
一番が終わると、もっと、ってせがむようすを見せたのね。そうしたら、Ｕ先生が、すごく自然なようすで、二番を
歌い始めてね。なんか、とってもいい雰囲気で、見ていて感動しちゃった。あのときのふたりの間には、なんだか
入っていけないような、すてきな世界があったわ。」
そんなふうにして、のんたんは、Ｕ先生のあたたかいまなざしに何重にも包み込まれるようにして、
育ててきてもらったのだ、とおかあさんは思っています。
このままずっと、Ｕ先生に担任でいてもらえたなら、どんなによかったことでしょう。けれど、それはかなわない
ことでした。
「入学して二年間も、あんないい先生に担任になってもらっただけでも、ありがたいと思わなくっちゃね。」
と、おとうさんとおかあさんは話し合いながらも、やはり、過ぎてしまった二年間のことが思い出されて、悲しくて
仕方がありませんでした。
おとうさんとおかあさんですら、なんともいいようのない寂しさを感じていたのです。当ののんたんは、Ｕ先生が
いなくなって、どれほど悲しみ、不安に思うことでしょうか。のんたんには、Ｕ先生とお別れしなければならない理由を
理解することはできないのです。わけがわからないままに、いままでずっといっしょにいてくれた人がいなくなることへの、
のんたんの戸惑いを思うと、おかあさんは切なくなってしまうのでした。
おかあさんは、Ｕ先生にメールを出しました。
「最後に、Ｕ先生にお願いがあります。どうか、のんたんとお別れをしていただきたいのです。のんたんがそれを理解できるか
どうかはわかりません。けれど、『お別れなんだよ。』ということを、のんたんに言っていただきたいのです。
どうぞお願いいたします。」
Ｕ先生が、のんたんときちんとお別れできたかどうか、おかあさんはその後のことをＵ先生から聞きそびれてしまったまま
で、一週間ほどがたちました。のんたんは、当初、混乱していた部分があったようですが、新しい担任の先生にも慣れはじめ、
おかあさんが心配していたほどには、落ち込んだようすもみられなかったので、おかあさんは少し安心していました。
ちょうどそのころに、のんたんはＵ先生に「再会」してしまったのです。
担任でなくなったとはいえ、Ｕ先生は同じＫ盲学校の中にいるのですから、Ｕ先生の方は、毎日のんたんのようすを遠くから
見守っていました。ですが、今では新しい担任の先生がいるのですから、のんたんと関わることはありません。そんなことを
したら、のんたんは混乱してしまうし、いつまでも、新しい先生になじめなくなるかもしれないからです。
ですから、のんたんのすぐそばをとおることがあっても、Ｕ先生はのんたんにわざと声をかけず、黙って通り過ぎていました。
のんたんにとっては、もう、Ｕ先生はいなくなったのと同じ状態になっていたのです。
けれどその日、のんたんはＵ先生を「見て」しまったのでした。
それは、登校時間の、子どもたちでごったがえしている玄関でのできごとでした。自分のくつ箱から上履きを取り、くつと履き替えようとしていた
のんたんは、たまたま、そばにいたＵ先生の手にふれてしまったのです。
ほんの一瞬のできごとだったにもかかわらず、のんたんははっとしました。そして、Ｕ先生の手のひらの匂いをくんっと
嗅いで、それがＵ先生であることを確信してしまったのです。
ああ、のんたんが気づいちゃった、とＵ先生が思った瞬間のことでした。
「だっこ」と言って、のんたんがＵ先生に抱きついてきたのです。
そしてのんたんは、そのままＵ先生から離れなくなってしまったのだそうです。
「でも、のんたんはえらかったんですよ。」
あとになって、Ｕ先生はおかあさんにそうおしえてくれました。
Ｕ先生は、少しの間、のんたんを抱っこし、それから、ゆっくりとこう言いました。
「のんたん。…いってらっしゃい。」
するとのんたんは、先生から離れ、立ちあがったのです。そして、
「いってきます。」
と言って、自分から教室へと歩いていったそうです。
「のんたん、おとなになったなあ、って思いました。」
と、Ｕ先生がいつものやさしい口調で語ってくれたことを、おかあさんは胸が
熱くなる思いで聞いていました。
本当に、のんたんはおにいちゃんになっていました。おかあさんが心配していたにもかかわらず、のんたんは、Ｕ先生との
お別れを自分の中で受けとめ、次の一歩を踏み出せるまでになっていたのでした。
二年前、入学したときのことを考えると、今ののんたんの成長ぶりが、夢のようでした。そして、それほどまでに
のんたんを大きく育んでくれたのが、Ｕ先生だったのだ、と、おかあさんはそのとき、感謝の気持ちでいっぱいになりました。
Ｕ先生とのお別れが一番つらかったのは、本当はのんたんよりも、
おかあさんの方だったのかもしれません。
（おわり）
